第3章 大江健三郎作品解題2―― 障害受容〜父親の役割

   1.「父よ、あなたはどこへ行くのか?」(1968年10月『文学界』)
 本作品は「a 裏」「b 表」とふたつに分かれており、前者は一人称を主体に三人称を混ぜ、後者は三人称のみで書かれている。渡辺広士は文庫版の解説の中で、これは〈父〉の問題を掘り起こす装置であると述べている。また、「〈父〉を復元するのに、作者は暗がりの中に〈自己幽閉〉している父に自己を同一化するという方法を取る」と指摘している。
 この解説が一言でまとめているように、本作は中心人物(語り手)の父親を「復元」しようと試みる物語である。自分の父親のことを考えるときに、今度は父親としての自分も意識されてくるのである。なお本作では語り手「僕」(かれ)について、眼が弱い、肥っている、と描写しており、障害のある息子がいる。このことから、本作でも語り手が作家自身に近い存在であると考えられる。息子については「息子は生れてすぐ大きい手術をした」、「膝が弱く、自由に歩くことはできるが、跳ぶこと及び駈けることができなかった」というような描写がなされることから、やはり書き手の実子にかなり近い存在である。
 「a 裏」では「僕」が父親の伝記を書こうとする試み、行為について中心に書いており、途中で挿入される伝記のためのノオトで三人称になっていく。そのことについて本文中に、三人称「かれ」を用いると、一人称「僕」との間にネジレを生ずる、一人称よりも具体的で説明的になる、と書いている。
 特に興味深いのは、台風の夜の場面である。台風の夜に停電になったため、親子三人が居間で蝋燭に灯りをたよりに寄り集まっている。そこで父親たる「僕」は、「死んだ父親の言葉を、妻と息子にむかって復元した。父親=僕の言葉は、もとより息子を捉えなかったし、妻の関心をも喚起しなかった。」「僕」が、「僕」の父親が台風の夜に行ったことを模倣することで、父親に同一化しようとしている一場面である。

 僕は、僕の父親がかれの妻にではなく子供たちにのみ語りかけたのであったにちがいないと信じられるように、僕の妻に対してではなく自分の息子に対してかたりかけていたのだ。僕の息子は知能の発育が遅れているが、もしかしたらかれが八十歳くらいになった時、八歳の少年程度の知能には到達して僕がこの台風の夜にかれにむかって語ったところのことを、すっかり理解してくれるかもしれないと思う

 また、走れないのではなく走る気がない息子に、その気をおこさせようと、ある日、息子をつれて郊外へ行き、林のなだらかな斜面で息子の名前を呼びつつ30m駆け下りる、ということを繰り返した。そして走りつづけながら、冒頭で引用されていたブレイクの詩句を思い出す。本作品では、さきにふれたように、ブレイクの詩句がまるで中心人物の心の叫びを代弁するかのように引用されている。しかも以下の部分では、原文が変容して想起される。
 冒頭で引用されている原文は、

Father! father! where are you going? O do walk so fast. / Speak, father, speak to your little boy. / Or else I shall be lost.

 だが、息子が自分を泣きながら追いかけてくる姿を見て「かれ」が想起する訳は変容し、「お父さん! お父さん! あなたはどこへ行くのですか? ああ、そんなに早く歩いて! 僕らは迷い子になってしまいました、この不信と恐怖の土地で」、となる。
 「僕ら」、という表現が使われている。大江が息子と自分とを、ともに生きるものと捉えていることがはっきりわかる。原文では「さもないと、迷い子になってしまうでしょう」となっているのに、そこも変容し、「迷い子になってしまいました」と、二人がともに、困難な状態にあることを示している。
 「b 表」では、伝記を書く作業をする「かれ」の家庭内の環境、外的環境について、主に息子とのかかわりの描写から描かれる。
 ここで息子が森という名前であると書かれている。モリにはラテン語で「死」「白痴」の意味があるという。この名前は後の作品「ピンチランナー調書」にも出てくる。それで呼びにくかったため、『熊のプーさん』に出てくる厭世家の驢馬の名前イーヨーをあだ名にした。実際に大江家では光を「プーちゃん」の愛称で呼んでいたというから、作品に登場する森はやはり息子を想定しているのである。
 特に注目したいのは、「かれ」がイーヨーと「苦痛の共有の感覚」を有していることである。その感覚はイーヨーが3歳の夏に火傷をおった日に突然に自覚されたのだという。「それ以来、(中略)息子の肉体的な苦痛は、その掌を握ってやる自分の掌をつたわって、かれ自身の肉体に直接苦痛の共鳴をもたらすのがつねとなった。(中略)いちいちかれ自身の内部に共鳴してくる苦痛の理由を理解し、その理解の光が握りあわされた掌から逆流して、息子の暗く鈍い頭のうちの、恐怖と苦痛の混沌にいくらかなりと秩序をもたらすことを信じえた」。「かれ」は自分がイーヨーの外界への窓口であると自覚しているのである。自分を通じてこそイーヨーは外界へつながっていける、という自覚である。このような感覚の共有については「洪水はわが魂に及び」でも描かれている。
 しかし、ある契機をえて、「かれ」はそのままではいけないのだと悟ることになる。それは、イーヨーとともに動物園へ行った際、たまたま狭い通路に入り込んだところで、日傭労務者風の男たちが仕事をせずに賭博をしている現場を見てしまったことに端を発する。「かれ」らは、密告者と間違われて、数人の男たちに白熊プールに投げ入れられそうになる。これは先にふれた、不良少年たちに囲まれる状態と酷似している。「かれ」はこのときに正気を失い、イーヨーとはぐれてしまう。イーヨーは迷い子として警察にひきわたされており、おとなしく父親を待っていた。警官ともイーヨーなりの会話をしている(しかも食事もしたらしい)様子を見て、「かれ」はイーヨーが自分なしでもイーヨーのやり方で生きていけることを思い知らされる。そこで「かれ」は、実は自分の方がイーヨーに依存していたらしいことに気づくのである。そして物語は「肥った男は息子からすでに切り離されているのだ、息子もかれ自身もおたがいに自由だ。そして肥った男は、おなじように、いま死んだ父親から自分が切り離されて自由になったのを確認したところだった。」と、自分も息子もそれぞれ「自由」で、自由にかかわっていくのだという方向を示して終る。

   2.「ピンチランナー調書」(1976年8-10月『新潮』)
 本作品では語りの手法が、これまでの作品とは大きく違っている。まず、語り手「僕」は作家であり、歯並びが悪く、障害児の息子(名は光)がいることから、最も書き手・大江に近い人物である。しかし、物語の大枠を語るのは「僕」であるが、物語の中身をつくっていくのは、森・父(光の同級生・森の父親)なのである。「僕」は森・父から手紙を受け取ったり、録音テープを受け取ったりして、その内容を幻の書き手として物語っていく、という設定である。
 つまり、これまでは一組の父―子関係について語られてきたが、本作では僕―息子と、森―森・父という、二組の父―子関係が扱われているのである。「僕」の息子と森とは同じ学校に通っているのみならず、同じく脳に同じような障害があったのだという。そして、森・父と「僕」とは同じ時代感覚を共有する者同士である。
 森という名の由来について、「僕」は森・父に尋ねない。しかし、「僕」もまた自分の息子に命名する際に、「森」という名を思いついたのだという記述がある。

 僕は誕生と緊急手術の騒動の間に出生届を遅らせて、始末書をもってでかけて行った区役所での、ラテン語の死・白痴と音でつながる森という名を思いついた退廃の一瞬を思い出していた

 この表現は「父よ、あなたはどこへ行くのか?」でのものとほぼ同じである。そのように、語り手=書き手とほとんど同じだが、別の人物としてもう一組の父―子関係を描き、語り手自身を客観視しようとしている。
 そして幻の書き手としての語り手が作品の大枠を守りつつ、その内部について森・父が語るが、その中での森と森・父とのやりとりの方法は、やはり「父よ、あなたはどこへ行くのか?」での「かれ」とイーヨーとのかかわりとよく似ている。それは、森・父が森の言葉を、森の体にふれることによって感じ取り、多数の他者へ向けて発信する様子などからうかがえる。
 さらにこの作品でもさきほど引用したブレイクの、全く同じ詩句が用いられている。この詩句がいかに強く大江に意識されていたかがわかる。しかもまた、訳が微妙にずらされている。ここでは「オ父サン、アナタハ僕ヲ見棄テテ、イッタイドコヘ行ッテシマッタノカ」となっている。これは森を見失うことと関連させてのことである。同じ詩句が、引用される場面によって、訳され方によって、さまざまに使い分けられながら、迷い子のイメージと関連づけられながら、書き手の心情の深いところで生き続けている。
 この作品は「
父よ、あなたはどこへ行くのか?」に幻想性、虚構性、同じ問題について別の観点からの考えを加えて書かれたものであると言えそうだ。それは父親の描き方から特にそう感じられる。前作では語り手を中心として、その父親と息子、という三世代の直線的な関係性が軸になっていたが、本作では二組の関係を描き、さらに森親子の立場を「転換」させることで、より複雑な世界を描くことが可能になっている。
 本作では障害について、肯定的に捉えていく表現が見える。しかし家族としてはまだ捉えられていない。森と森・父とは非常に強い結びつきをもつが、妻は二人を見捨てて家を出てしまう。この時点ではまだ「家族」として、その中の父親としての役割までは見出せない。障害の受容の状況、障害の積極的な評価、という意味では、非常に意味深い作品であると思われる。

   3.『新しい人よ眼ざめよ』(1983年6月、講談社)
 短編連作であるが、中でも特に最初の作品「無垢の歌、経験の歌」(1982年7月『群像』)は、家族全体の立ち直りの契機について考えられたものである。
 ここでも『個人的な体験』以後、頻繁に引用されているブレイクの詩句、『無垢の歌』より「失われた少年」の一節が繰り返し用いられている。この詩句により、一度は障害を受容して安定したはずの家庭に、再び訪れた「危機的な転換期」を暗示させている。「家族全体に、危機的な転換期がやってきつつ」あった。「家族」という単位、形態について作品化されているのである。
 作品内で、息子・イーヨーは養護学校の高等部へ通っている。問題は父親がヨーロッパ旅行のために不在にしたときに起こった。父親がヨーロッパへ発って5日後に、イーヨーは家族全員に対して暴力をふるいはじめたため、その態度に怯え、腹を立てた家族にかまってもらえなくなってしまった。父親が戻る3日前には、口いっぱいに頬張るようにして食事を終えた後、庖丁を持ち出したので、母親は何の手立てもなく、病院に入れるしかないと思った、という。
 この「危機」に、旅行から戻った父親が立ち向かう。父親が居間へ戻ってもイーヨーは無視する。空港に父親を迎えにいくと話したときに、「パパは死んでしまいました」と言い張ったのだという。父親の土産である、いつもは好きなはずの楽器にも興味を示さない。父親もなすすべがなく、眠れぬ夜を過ごすが、翌朝にはコミュニケイションの糸口を見出す。
 その契機は「足の定義」にあった、と父親は説明する。その後つづいていく短編も、あらゆるものの「定義」ということについて考えるものになっている。子どもたちが親なき後に生きていけるように、世の中のことを定義して伝えたい、自分の死後についての準備として定義集をつくる、という考え方である。とはいえ、イーヨーに理解されるような定義は難しく、現在のところいちばん確かに定義しえていたのが「足」であり、たまたま居間で眠る父親の、定義された足を見出したイーヨーが、再び家族とのコミュニケイションを回復し、「仲直り」したのだった。
 その後、父親は母親に、何がイーヨーの暴力、混乱を招いたのかについて解説する。それは死への恐怖であった。父親が長い期間、家を留守にしたことに加え、学校の行事の遊びとしてながら、母親までも子どもに背を向けて走り去ろうとしたことが大きな原因であったのではないか、と話す。
 母親とは違う、家族の中での役割を果たした父親の姿がしっかりと描かれている。問題が家族全体のものとして捉えられ、そのうえで解決の糸口を父親がみつけて、家族みんなをひっぱっていく力を発揮している。これまで培われてきた父−子関係を土台に、視野を広げた(より書き手を客観視した)作品が書かれ始めたということである。そのように距離を保ち得る程度に、障害の受容から積極的な意味づけ、そして安定した「家族」の生活へと移行していく姿が見えるようである。

   4.『静かな生活』(1990年10月、講談社)
 この作品は、これまでの作品と大きく違い、語り手が女性である。この女性は書き手の娘とかなり近い存在である。実際に大江には娘がいるが、物語の語り手・マーちゃんは、現実の娘とはまったく違う存在であると書き手はいう(文庫巻末「著者から読者へ」)。たとえこの語り手がまったく架空の存在だとしても、その視点が書き手の娘のものであり、書き手とその息子・光との関係を、これまで以上に客観視しうる存在であることは間違いない。そして、父親と息子の関係性のみならず、父親の役割というものについて、娘の立場から照らし出してもいる。さらに父親だけではなく母親までもが長い期間、家を空けることによって、それぞれの担っていた役割について再認識され、より強調される仕組みになっている。
 最も強い印象を残すのは、父親独特の身振りである。たとえば「万能の用語」をつくりだして、他の家族の誰もが困惑してしまうようなことを、まるでなんでもないことのように乗り越えて見せたりする。特に若い女性であるマーちゃんには、青年期を迎えたイーヨー(兄)の性的な事柄に関する父親の問題解消の手続きが気に入らないのではあるが、しかし、読み手にはまったく見事な手腕と映るのである。具体的には、イーヨーが高等部のころの思い出として下記のような描写がある。

 寝そべって作曲したりFM放送を聴いたりしていた兄が、躰の向きをかえようとしながら、腰をうしろにひくような、モジモジして不器用な、英語の単語でいうならawkwardな恰好をすることがあった。それを見つけると、父はことさら大声に――と私には聞こえるいい方で――呼びかけるのだ。――イーヨー、「キン」が伸びたぜ、よし、トイレに行っておいで!(中略)なにか手だすけをしようかと思ったこともあるが、こういう時兄はきわめて防禦的で、私たちの手すらはねつけるのでどうすることもできないのだった。この点については、母も要領をえないままだったといっていた。

 はっきりと、マーちゃんだけではなく「母も要領をえない」と書かれている。同性で、しかも家族内の信頼関係をつくりあげた父親だからこそできる一連の身振りであることがわかる。
 父親の役割については、文庫巻末の伊丹十三の言葉が興味深い。

 『父の言葉』としての大江文学ということです。『父』というのは、ラカン派の定義によれば、決して専制的な雷親父などではなく『父の父の言葉を子に伝えるもの』ですが、この意味において、優れた先人たちの創造や思索に対する、大江君の並外れた謙虚さは、まさに、父の父の言葉を子に伝えようとする者の営みですよね。

 伊丹十三は本作を映画化した監督であるが、大江の妻の兄でもある。書き手・大江に非常に近いところで、長い間その作品を読みつづけた中で、本作を手にしてすぐに映画化を思いついたとも述べている。それまでの作品は、映画にするための素材としてはよくても、映画にはしにくい、という。そのことは理解しやすいように思う。
 本作の語られ方、文体は、これまでの作品に比して、格段に単純で平易なのである。それはやはり、語り手が作家・書き手自身ではなく、若い娘であることに起因しているのだろう。そして単に平易なだけではなく、大江自身が巻末の解説で語っているように、どの作品よりも虚構化されているのだろうと感じられるからである。それはまた繰り返しのようだが、語り手が若い女性であることに関係する。書き手が物語を自分から離して見ている状況が読み手に伝わってくるのである。それゆえに、重苦しい場面であっても、これまでの作品での重苦しさとは質が違って感じられもする。軽い、のではなく、読み手も書き手と同じように、状況を一歩違った視点から見ることができるのである。そのために、家族の中での父親の役割が、より明確に読み取れる作品になっている。



     
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