.・oO 3.翻車魚、森に棲む
今日は翻車魚が森に棲み始めた頃のお話です。
森に連れてこられた翻車魚は、もとは深海魚ですから、歩くのだけでも大変です。もともと動きは緩慢で、器用な方でもありませんので、今でも何も無いところで転ぶことが珍しくないのです。
とにかく普通に動くのだけでも一苦労なものですから、とりあえずは仔山羊のめえめえが、どんな生活をしているのか、黙って眺めていることにしました。
めえめえのお宅は大きな楡の木の下にある小屋でした。玄関の扉を開けると暖炉のあるお部屋があって、そこには木の円卓と椅子、それにふかふかの立派なソファーがあります。壁には農学校の生徒が描いた北の浜辺の絵や、地図が掛かっていますし、暖炉の上には大蜥蜴の模型が飾ってあります。
奥には扉が二つあって、左は仔山羊の寝室へ、右は地下貯蔵庫へ通じているようです。もうひとつ、天井にも扉があり、これは開くと蔓梯子が降りてきて、木の上の書斎、兼見張り台へ行けるようになっています。ただ、寝室と貯蔵庫は小屋ではなく、楡の木の洞の中にあるのです。
翻車魚を連れて宅に戻ると、めえめえは「お腹が空いたねえ。美味しいものを作ってあげるからね」と云って、お鍋を火にかけました。そして牛乳を一杯に入れて、とうもろこしもどっと入れました。火はごうごう燃えています。牛乳はすぐに沸いて、ぶくぶくいっています。けれども、めえめえは本を読み始めました。翻車魚は気が気ではありません。そのうちに、何やら焦げ臭い匂いがしてきました。
「ねえ、めえめえちゃん、なんだか変な匂いがしない、」
「うん、そうかなあ、」
めえめえはしぶしぶ本を置いて立ち上がりました。そして少し鍋の中を覗きこんで、もっともらしい表情をして、匙で鍋の中のスウブを軽く混ぜて、塩と胡椒をふり、最後に"熊印のシチューのもと"をさらさら入れて、どうやら出来上がり。満足そうにそれをお皿に盛り、パンを適当な大きさに不恰好にちぎって二つに分けて、さて、お食事のようです。 「ぼうや、ごはんですよ、」 めえめえは、いちいち翻車魚と呼ぶのが面倒になって、略して呼びます。 席についたぼうは、恐る怖るスウプを口に運びました。……味は悪くないようです。ただ、白いスウプに黒い破片が浮いているのは少し気になりましたが。
「これ、美味しいねえ」
「本当。良かった」
めえめえは嬉しそうに微笑いながらパンにバターをたっぷり塗って、マヨネーズもいっぱい塗って、その上にチーズを乗せたのを、大きく口を開けて、むしゃむしゃ喰べました。
驚いたのは翻車魚です。仔山羊は一体、どんな味覚をしているのか…
次の日はちょっと腐りかけたチーズ入りの、形の崩れたぐづぐづのオムレツと、「味噌汁だよ」と云って作ってくれた大根の味噌煮でした。仔山羊は出汁をとるということを知らないので、水に味噌を溶いて、それに大根を入れれば、それが味噌汁だと思っているのでした。
食べ物のことばかりではありません。翻車魚にとって毎日が驚きの連続でした。仔山羊のすること為すこと全てが驚きでした。仔山羊は毛繕いも苦手で、よく見ると、どうもあまり毛を梳っていないようで、折角の長くて皎い毛が、絡まっていたり玉になっていたり、めちゃくちゃです。それに、余り良い匂いではありません。行水も上手ではないようです。見ていると、桶で汲んだ水をとんでもない方向に投げ掛けるばかりで、ちっとも自分の体が洗えていないのです。
翻車魚は、これではいけない、自分がなんとかまともな生活を仔山羊に提供しなければ、と思ったのでした。めえめえも、自分がまともだとは決して思っていませんでしたので、ぼうがしてくれるなら頼もう、と思いました。
そうして二人の奇妙な共同生活が始まったのです。
森に連れてこられた翻車魚は、もとは深海魚ですから、歩くのだけでも大変です。もともと動きは緩慢で、器用な方でもありませんので、今でも何も無いところで転ぶことが珍しくないのです。
とにかく普通に動くのだけでも一苦労なものですから、とりあえずは仔山羊のめえめえが、どんな生活をしているのか、黙って眺めていることにしました。
めえめえのお宅は大きな楡の木の下にある小屋でした。玄関の扉を開けると暖炉のあるお部屋があって、そこには木の円卓と椅子、それにふかふかの立派なソファーがあります。壁には農学校の生徒が描いた北の浜辺の絵や、地図が掛かっていますし、暖炉の上には大蜥蜴の模型が飾ってあります。
奥には扉が二つあって、左は仔山羊の寝室へ、右は地下貯蔵庫へ通じているようです。もうひとつ、天井にも扉があり、これは開くと蔓梯子が降りてきて、木の上の書斎、兼見張り台へ行けるようになっています。ただ、寝室と貯蔵庫は小屋ではなく、楡の木の洞の中にあるのです。
翻車魚を連れて宅に戻ると、めえめえは「お腹が空いたねえ。美味しいものを作ってあげるからね」と云って、お鍋を火にかけました。そして牛乳を一杯に入れて、とうもろこしもどっと入れました。火はごうごう燃えています。牛乳はすぐに沸いて、ぶくぶくいっています。けれども、めえめえは本を読み始めました。翻車魚は気が気ではありません。そのうちに、何やら焦げ臭い匂いがしてきました。
「ねえ、めえめえちゃん、なんだか変な匂いがしない、」
「うん、そうかなあ、」
めえめえはしぶしぶ本を置いて立ち上がりました。そして少し鍋の中を覗きこんで、もっともらしい表情をして、匙で鍋の中のスウブを軽く混ぜて、塩と胡椒をふり、最後に"熊印のシチューのもと"をさらさら入れて、どうやら出来上がり。満足そうにそれをお皿に盛り、パンを適当な大きさに不恰好にちぎって二つに分けて、さて、お食事のようです。 「ぼうや、ごはんですよ、」 めえめえは、いちいち翻車魚と呼ぶのが面倒になって、略して呼びます。 席についたぼうは、恐る怖るスウプを口に運びました。……味は悪くないようです。ただ、白いスウプに黒い破片が浮いているのは少し気になりましたが。
「これ、美味しいねえ」
「本当。良かった」
めえめえは嬉しそうに微笑いながらパンにバターをたっぷり塗って、マヨネーズもいっぱい塗って、その上にチーズを乗せたのを、大きく口を開けて、むしゃむしゃ喰べました。
驚いたのは翻車魚です。仔山羊は一体、どんな味覚をしているのか…
次の日はちょっと腐りかけたチーズ入りの、形の崩れたぐづぐづのオムレツと、「味噌汁だよ」と云って作ってくれた大根の味噌煮でした。仔山羊は出汁をとるということを知らないので、水に味噌を溶いて、それに大根を入れれば、それが味噌汁だと思っているのでした。
食べ物のことばかりではありません。翻車魚にとって毎日が驚きの連続でした。仔山羊のすること為すこと全てが驚きでした。仔山羊は毛繕いも苦手で、よく見ると、どうもあまり毛を梳っていないようで、折角の長くて皎い毛が、絡まっていたり玉になっていたり、めちゃくちゃです。それに、余り良い匂いではありません。行水も上手ではないようです。見ていると、桶で汲んだ水をとんでもない方向に投げ掛けるばかりで、ちっとも自分の体が洗えていないのです。
翻車魚は、これではいけない、自分がなんとかまともな生活を仔山羊に提供しなければ、と思ったのでした。めえめえも、自分がまともだとは決して思っていませんでしたので、ぼうがしてくれるなら頼もう、と思いました。
そうして二人の奇妙な共同生活が始まったのです。