は じ め に

 重度・重複障害児の教育についての講義で、障害児本人への支援だけではなく、その子を育てる親への支援も必要であることを習った。また他の講義でも、健聴児をもつ難聴の親への支援など、必要とされながらも制度としては確立されていないことを学んだ。必要とされる支援に沿った仕組み、制度を整えるのには時間も費用も多くかかる。しかし問題は今現在も起こっているのであり、それに対応していかなければならない。そう考えたとき、今後出会うであろう障害児のご両親に、自分はどのような姿勢で接していけばよいのか、を考えたいと思った。そのために明らかにしておきたい問題のひとつとして、親が子の障害をどのように受容していくのか、について取り上げる。本稿では特に父親の障害受容と、父親の役割について考察したい。
 障害児の親が、わが子の障害をどのように受容するか、ということは長く問題とされてきたが、その調査・研究方法はいまだ確定的でない。また従来の研究では、親といってもその対象は母親にほぼ限定されており、父親の障害受容のあり方についてはほとんど明らかにされていない。論文題目検索システムCINIIを用いて「障害」「受容」「親」で検索すると、その大多数が「母親」に関するものであることがわかる。従来の研究方法、文献の分類については桑田ほか(2004)に詳しい。 しかし子と長くかかわる母親が障害を受容するにあたっては、父親による支援が必要であり、父親の支援の質は、父親がどのように子の障害を受容しているかが深くかかわってくると思われる。そこで本稿では障害受容について父親に焦点をあてて、そのあり方を探っていきたい。さらに、その父親が母親の障害受容のために、どのような役割を担っているのかを探っていきたい。
 第1章では、障害児をもつ親の障害受容過程についての先行研究を概観し、これまでに何が問題とされてきたか、そして今後の課題は何であるかを確認する。また、障害児をもつ親の手記を検討し、実際に親たちが直面している問題について、さらにその問題を乗り越える姿、過程について抽出していきたい。
 第2章以降では大江健三郎作品に焦点をあてる。なぜなら、大江は28歳のときに長男・光が脳に障害をもって生まれて以後、親が子の障害を受容するということについて、文学作品や講演、リハビリテーション医・上田敏との対談、NHKのテレビ番組など、多くの場で語っている。本稿では大江の障害受容についての考え方と、障害児とその家族の文学作品での描かれ方を照らし合わせながら、親の障害受容の実際と父親の役割について考える。
 第2章では「ヒロシマ・ノート」「空の怪物アグイー」「個人的な体験」などから、大江の障害受容のあり方を探る。そして第3章では「父よ、あなたはどこへ行くのか?」「ピンチランナー調書」「新しい人よ眼ざめよ」「静かな生活」などから、障害を受容しつつ、その後どのように親の心情が変化していくのか、そして父親の役割は何か、を考察する。
 第4章では、2章と3章で作品ごとに検討してきたことをまとめ、作品の展開のしかたや、その展開が示唆するものについて考える。
 以上のことを通して、障害児の親、主に父親の障害受容のあり方と、父親の役割について明らかにしたい。


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