翻車魚・編『青空文庫アンソロジィ』

【 笑 ウ 顔 】

寺田寅彦 「笑い」
   ヒトは何時なんどき笑うのが正しいのでしょうか。
宮沢賢治 「土神と狐」
   笑ウ、とは。
森鴎外 「笑」
   “実は私も”系として映画「ハーヴェイ」も怖い。
 ※Artsybashev Mikhail Petrovich原作、林太郎・訳。
  鴎外選集に入っているので、このような表記にしておきます。
夢野久作 「笑う唖女」
   唖、なのに、笑う…?
 ※念のための注記。原則として唖はいません。
  かつては聾唖と云いましたが、聾者の用いる手話も言語であり、決して唖者ではないからです。
横光利一 「笑われた子」
   仮面作成への青白い情熱。

【 表現ニ就イテ 】

宮沢賢治 「農民芸術概論綱要」
   或る宣言。問いかけとしても。
芥川龍之介 「文章」
   嫌味、自己否定の極み。
太宰治 「駈込み訴え」
   代表作、才能傑出。
北村透谷 「厭世詩家と女性」
   いまや決して真似できぬ表現。
   有名な「恋愛は人世の秘鑰(ひやく)なり」とは此処から。
尾形亀之助 『色ガラスの街』より
  「商に就いての答」

もしも私が商(あきなひ)をするとすれば
午前中は下駄屋をやります
そして
美しい娘に卵形の下駄に赤い緒をたててやります

午後の甘ま[#「ま」に「ママ」注記]つたるい退屈な時間を
夕方まで化粧店を開きます
そして
ねんいりに美しい顔に化粧をしてやります
うまいところにほくろを入れて 紅もさします
それでも夕方までにはしあげをして
あとは腕をくんで一時間か二時間を一緒に散歩に出かけます

夜は
花や星で飾つた恋文の夜店を出して
恋をする美しい女に高く売りつけます
   洒落ている、とはこのことだと思うのです。

【 巻 末 言 】

・・・笑 ウ 顔
 “笑い”については昔から興味があります。表現に幅があるからでしょう。
 というわけで、笑いについて青空文庫で考えよう、な選集。

・・・ 表 現 ニ 就 イ テ
 賢治の「農民芸術概論綱要」は、何かにつけて思い出すことが多いです。どんなことにも通じるのではないでしょうか。賢治が近年、爆発的人気を博しているのは“知”のカタチについて考えた人だったからだと気づきました。
 芥川と太宰は私の中では対。自分の作品について触れている部分が素敵な「文章」(賢治も『春と修養』と云われたことは有名ですね)。それに、文章力をこれでもかと見せ付ける「駈込み訴え」。
 透谷と亀之助は生き方そのものが表現になりうる、凄い人だと思います。透谷の文章は思わず読んでしまう力に満ちていますし、今読んでも唸ってしまう部分が多いです。亀之助については詩作品よりも本当は同人誌上での「体温表」などが好きです。