.・oO 溺 死 者 の 記 憶
自家中毒が大流行した時代に産まれた私も他の子供たちの例外ではなく長い間この狂気を引き摺っている。掛かり付けの医者も判然とは云わない原因を昔から識っていた。母親の溺愛から来る圧迫感の所為だと。
母は自称『文学に毒された女』で、殊に太宰の小説を耽読していた。あの下らない話を読むだけでも愚かだというのに、彼女は「斜陽」の世界を体現した。妻子有る男を愛し、その男の種子を身に宿したのだ。そして遂げられない想いの丈を私に注ぎ、そういう偏愛が私を追い詰めた。当然の結果である。彼女は他の誰を愛したのでもない。自身を最も愛していた。他に頼らず密かに男を想い続け、未婚の母を立派に勤め上げる事こそが彼女の喜びであった。私は彼女が満足感を得る為に払われた犠牲なのである。
お母様、と呼ぶと、彼女は無上の歓喜と嬌羞とを肢体全部に湛えて応える。
「綺麗ね。ほんとうに綺麗」
「お母様にはとても及びません」
私の躰を愛撫し、彼女はどうしようもなく惨めで哀れな睛を向ける。
「お願い、」
一応は恥ずかし気に、しかし何処までも甘く囁く“をんな”。私は薄ら嘲笑いながら実の母を抱く。淫らに大きく開かれた脚の間を蠢く赭い蛭の粘液質に喘ぐ母は確かに妖しい美を有していた。
湯浴みの時は何時も、常に全身を朱く彩る吸い痕を恍惚と眺める。ひとつひとつ全部に口唇を合わせ、堪え切れずに嘲笑う。こうして生存ていられる世の中が可笑しくて哄笑う。微笑いながら吐く。
私は所謂“苛められっ子”だが、本当にそう呼べるものかどうかは判らない。私は其処此処に転がっているような軟弱な子供とは育ちが違うから、皆にされている事が“苛め”であっても、それを辛いとは思わない。誰かに足を掛けられて無様に床に這いつくばる私を視る級友たちの睛は真に嬉しそうに嘲笑う。彼等にとっての喜びなどその位のものでしかないのだ。だから何ということもない。ただ、それだけ。
「おやめなさい、」
未だ稚い表情をした新任の小学校教師が私に駆け寄る。忌ま忌ましさこの上無い。素晴らしく滑稽な空間を壊してほしくない。それでも哀れを装う私は手足の所々をさすりながら、大丈夫です、を繰り返す。無意味な使命感を躰中に漲らせた女教師は彼等を叱咤する。しおらしく項垂れる彼等は次にどうしてやろうかと目配せし合う。
既に死んでいるも同然の子供たちは群れ、他の生命を奪うことなしに己の生命を自覚することが出来ず、彷徨う。“苛め”とは、その群が決めた攻撃の標的である個との遊戯。群にとっては、冗談であるとしか云い様がない。個は個で、大人に弱音を吐く奴以外は大抵、その立場を嫌がったりしないものだ。例え無視という手段を取られたとしても、それが自然に出来上がった状況でない限り、個は群の意識を一身に集めているのだから、一体何を嘆くことがあろう。自殺なんかをするのは与えられた立場に溺れた泥酔者。群と個、需要と供給。互いが互いを必要としているのだから、そういう事情を理解らない新任女教師など黙って居るのが宜しい。群の一端に加わろうと云うのなら話は別だが。
私はよく被虐慾者と間違われる。精神的に自身を追い詰めて喜んでいるからだと云う。それはとても面白い見解だ。外からの私の見え方が興味深い。学校での姿がそう云わしむるのだろうが、真実は違う。母に対して強迫観念を抱いているだけだ。母の虐待を黙認しているのは彼女の睛を私から離したくないからで。同級生に施される程度の“苛め”は少しも苦にならないというだけのこと。
親が子供に無意識に及ぼしてしまう影響は、無意識と云うには余りにも大きく強い。と、自分の生活を振り返って想う。私などは正に、あの母にしてこの子あり。中学生になって直ぐ谷崎文学に陥り、「少年」などを読んでは妄想に余念が無かった。当然、太宰も読んだ。だが厭いだった。嫌いな箇所に理由を添えて筆記帳に書き出しては満足していた。想えばあれは私の反抗期の現れだった。母親に反抗してみたい気持ちが、私の中にも人並みに、有った。その気持ちを母本人に直接うちつけられない弱さ、稚さが私を支配していた所為で、それが余計に鬱屈し、どんな悲劇をも嘲笑えるように、私を仕向けた。それから私はすべてを嘲笑おうとした。しかし、哄笑っても哄笑っても、最後の最後で嘲笑えない自分が在ることも確かだった。
何の予兆も無く或る日突然に、その忌まわしさは私に纒わり付き始めた。
例の排泄。
母はそれを知って大変喜んだ。昔ながらの祝いまでした。それは“大人に成った証拠”なのだと彼女は云う。子供を産めるように成って初めて一人前の“をんな”に成るなんて、明治の昔ぢゃあるまいし、ふざけた話だ。
子宮の疼きを感じる。鈍い痛みが気持ち悪くて、寝返りを打つのも億劫になった。これで遂に私も穢れた遺伝子を残す術を身に付けてしまった。これから一生その機器を下腹に抱え込んで、これに生命なんかが宿ってしまわないように気遣わなければならないのだ、とか何とか偉そうに考えていた頃。
まぁ良いか、と総べてに諦めた振りをするようになった頃、私は愛人を幾匹か飼った。人間に成り損ねた屑どもに體を預けて楽しむ危険はなかなかのものだ。万が一そういう事になっても平気だと思っていた。産婦人科が怖くて女を賣っていられるか。そう云い聴かせながら薬を口に放り込むときの感じが好きだった。意気がってみたかった。
「『運が良いとか悪いとか人は時々口にするけど、そういう事って確かに在ると』、」
古耄けた唄を思い出す。まぁ良いかと呟く聲が震えていることに、自身が脅えた。これでもう本当にどうしようもなくなったのだと、多分初めて自覚した瞬間だった。
死んだ塊を、つい先刻までは確かに其処に息づいていた私の子供を、視た。嗚呼、可哀想に。私の躰に宿ってしまったが為に、汚い血液を浴びてしまったが為に、望まれない生命。紛れも無く実の親に殺された子供。一度として抱かれる事なく、太陽の恵みさえ与えられずに。嗚呼。勝手を承知で、それでも吾子が呼吸もせず私を見てもくれないことに哀しみを覚えた。嗚呼、吾子よ。
生命を抱えた妊婦がそれだけで自信を持つ醜さが赦せなくて、自分も同じ種類の生物に成るのが厭で、堕胎はそうなることを避ける手段の一つであるというのに過ぎず、その行為に哀しみなんか感じる筈はなかった。子供なんて、報酬を得る過程で時には負わなければならない可能性の有る障害でしかなかったのに。生命などというものがこれ程の影響を自分に与え得ることは私にとって殆ど恐怖だ。
母は、そんな私の変化には気付かないようだった。
そうだった。あの人にとっての私は生命ではなかった。
朝。忙しく足を蠢かせる蟻のような人込みに紛れている時が最も落ち着く。安心する。自分は今此処に生息していて、肺呼吸しながら歩いて、為すべき何かを持っている、動物で人間で、とにかく一つの生命体であることの自覚をくれる。
本当に生きるのに忙しい人々に混ざっていると、自分もその集団の一員で、同種の生物であるような気になってくる。それが錯覚だということを、私は識っている。或る日或るとき突然に現実を見せ付けられると、途端に事実が眼の前に口を開ける。
例えば病院の二階の窓から往来を見下ろす老人に。何の目的も失い、膨大な時間だけが辺りに澱む。階下ではあれ程速く流れて逝く時間が、彼処では悠遠の刻。嘆くことをも忘れてしまったかのように深く沈んだ、物を映すことを放棄した、あの老人の睛。枯れて乾いた體をやっと支える、窓辺に掛けた細い腕。例えば闇の中に蹲る少年少女の群。例えば破り捨てられた子供の絵。それら、私に哀しみを覚えさせるもの全部が、私の正体を暴いてくれる。
母の希望で、もしくは惰性で、都会の基督教主義の女子校に入った。入学初日から落ち着き払って辺りを見廻す私に、同級のお嬢さんたちは物珍しそうな視線を送って来た。中学までは生意気と評され、“苛め”の対象ですらあったこの眼が、此処では羨望を集めているのだから、全く不思議な話だ。「風葬の教室」でもあるまいに。
はじめは怖々話しかけてきた彼女たちも慣れると矢張り女独特の図々しさで、此方が尋きもしない事を次から次に良く話してくれる。そして例の如く、彼女たちは私が同じ様に自分の考えを話すなんということを拒絶している。此方ももう諦めたが、それでも時々の溜め息は隠せない。一方的な攻撃に堪える為に消費される体力は相当なものだ。
「あら、溜め息をひとつすると倖せがひとつ逃げるのよ、」
心中で絶句しても、賢い私の舌は言葉を勝手に生み出して応える。
「溜め息くらいで逃げるのは倖せでも何でもないんだよ」
私は何時の間にか十七年もの齢を重ねていた。母も近頃は少し窶れ気味で、矢張り今を於いて他にないと、せめて天に許された最小限の美を失う以前に我が手で始末してしまおうと、老いを隠せない母の頬を視て、決めた。
「お母様、何が良くって、」
音盤の連なりを徒らに崩しながら背後に問うた。母の応えは何時でも同じ。
「そうねぇ・・・ボレロが良いわ」
判っていながら、その日は特に尋かずにはいられなかった。私も彼女も同じくらい不憫だと思った瞬間、血液が一気に躰の外へ流れ出したような衝撃を受けた。今更。今更、だ。
ボレロの律動を刻む初めのパアカッションを聴き逃すまいと、二人、自然に耳を緊張させる。不思議と息の合う一瞬。どんなに呪っても、血からは逃れられない。ラヴェルのボレロなんて俗っぽい、などと意気がる気力はもう疾くに失せていた。
木管が細く旋律を謳い出したのを確かめてから、私は音源の側を離れ、母の隣に坐した。一心に音楽に聴き入る振りをしている母の耳に、私は囁いた。
「私には、誰かを愛する資格など有りません」
身を強張らせて、母は怯えながら在らぬ方を凝視めている。
「けれども矢張り、身の程識らずにも、愛してしまった方があるのですよ。お母様は御存知ないでしょうね。貴女は私を本心から愛して下さったのではなかったから。何も識らないのでしょう、私の事なんて。私からあらゆるものを奪っておきながら、平気でいらしたもの。いいえ、それどころか、その事にさえお気付きにはならなかった。何時も与えていると、自慢気に振る舞っておられたわ」
「そんなこと・・・、」
「貴女は、それは倖せでしたでしょう。愛する人を想い、その方の為に私を育て、独り身の慰めに我が子を弄び、今迄それで生きて来られたのですものね。世間なんて簡単なものですわね。ねぇ、お母様」
曲の調子が強くなるにつれて私の語調も熱くなった。不知不識、不本意な涙が快い不協和音を連れて流れる。冷静さだけは失わないように、全神経を集中させた。
「私だって女です。普通なら、仮初の戀愛を楽しんでいる頃ですわ。周囲は日々そういった話で溢れている。私だけが、その輪に入れない。どんなに尋かれても、口が裂けたって云えるものですか。別に一般常識を気にする訳ではありません。私は恥ずかしいより前に哀しいのです。私はただ、人並みに、誰かと愛し合ってみたかっただけなのです。貴女にはそれが理解らない、」
絶叫に合わせるように音量が最大まで上がった。蒼冷めた表情が私の方を視た。眩しそうに、仰ぎ視た。
「理解るわ」
「私は中絶したことが有るのよ、」
「知っていたわ。全部識っていたの」
「ぢゃあ何故、どうして、」
形振りを構う余裕が、消し飛んでいた。
殆ど勢いで、私は持っていた刃物で自分を刺した。幾度も幾度も突き刺した。痛みは感ぜられなかった。急激に膝の力が抜け、額をいいだけ床に打ちつけた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、」
ひたすら繰り返される母の聲が遠くなり近くなり最期まで聴こえていた。
嗚呼、これで良い。これで良かったのだ。
もっと早くこうすれば良かった。こんなに素敵な気持ち。何と甘美な、何と狂おしい。何も無理をしてまで生存ることはなかった。
帰ろう、帰ろう、海へ還ろう。
あらゆる人、あらゆる物、有難う。
さようなら。
嗚呼・・・これで全てが終わる・・・
母は自称『文学に毒された女』で、殊に太宰の小説を耽読していた。あの下らない話を読むだけでも愚かだというのに、彼女は「斜陽」の世界を体現した。妻子有る男を愛し、その男の種子を身に宿したのだ。そして遂げられない想いの丈を私に注ぎ、そういう偏愛が私を追い詰めた。当然の結果である。彼女は他の誰を愛したのでもない。自身を最も愛していた。他に頼らず密かに男を想い続け、未婚の母を立派に勤め上げる事こそが彼女の喜びであった。私は彼女が満足感を得る為に払われた犠牲なのである。
お母様、と呼ぶと、彼女は無上の歓喜と嬌羞とを肢体全部に湛えて応える。
「綺麗ね。ほんとうに綺麗」
「お母様にはとても及びません」
私の躰を愛撫し、彼女はどうしようもなく惨めで哀れな睛を向ける。
「お願い、」
一応は恥ずかし気に、しかし何処までも甘く囁く“をんな”。私は薄ら嘲笑いながら実の母を抱く。淫らに大きく開かれた脚の間を蠢く赭い蛭の粘液質に喘ぐ母は確かに妖しい美を有していた。
湯浴みの時は何時も、常に全身を朱く彩る吸い痕を恍惚と眺める。ひとつひとつ全部に口唇を合わせ、堪え切れずに嘲笑う。こうして生存ていられる世の中が可笑しくて哄笑う。微笑いながら吐く。
私は所謂“苛められっ子”だが、本当にそう呼べるものかどうかは判らない。私は其処此処に転がっているような軟弱な子供とは育ちが違うから、皆にされている事が“苛め”であっても、それを辛いとは思わない。誰かに足を掛けられて無様に床に這いつくばる私を視る級友たちの睛は真に嬉しそうに嘲笑う。彼等にとっての喜びなどその位のものでしかないのだ。だから何ということもない。ただ、それだけ。
「おやめなさい、」
未だ稚い表情をした新任の小学校教師が私に駆け寄る。忌ま忌ましさこの上無い。素晴らしく滑稽な空間を壊してほしくない。それでも哀れを装う私は手足の所々をさすりながら、大丈夫です、を繰り返す。無意味な使命感を躰中に漲らせた女教師は彼等を叱咤する。しおらしく項垂れる彼等は次にどうしてやろうかと目配せし合う。
既に死んでいるも同然の子供たちは群れ、他の生命を奪うことなしに己の生命を自覚することが出来ず、彷徨う。“苛め”とは、その群が決めた攻撃の標的である個との遊戯。群にとっては、冗談であるとしか云い様がない。個は個で、大人に弱音を吐く奴以外は大抵、その立場を嫌がったりしないものだ。例え無視という手段を取られたとしても、それが自然に出来上がった状況でない限り、個は群の意識を一身に集めているのだから、一体何を嘆くことがあろう。自殺なんかをするのは与えられた立場に溺れた泥酔者。群と個、需要と供給。互いが互いを必要としているのだから、そういう事情を理解らない新任女教師など黙って居るのが宜しい。群の一端に加わろうと云うのなら話は別だが。
私はよく被虐慾者と間違われる。精神的に自身を追い詰めて喜んでいるからだと云う。それはとても面白い見解だ。外からの私の見え方が興味深い。学校での姿がそう云わしむるのだろうが、真実は違う。母に対して強迫観念を抱いているだけだ。母の虐待を黙認しているのは彼女の睛を私から離したくないからで。同級生に施される程度の“苛め”は少しも苦にならないというだけのこと。
親が子供に無意識に及ぼしてしまう影響は、無意識と云うには余りにも大きく強い。と、自分の生活を振り返って想う。私などは正に、あの母にしてこの子あり。中学生になって直ぐ谷崎文学に陥り、「少年」などを読んでは妄想に余念が無かった。当然、太宰も読んだ。だが厭いだった。嫌いな箇所に理由を添えて筆記帳に書き出しては満足していた。想えばあれは私の反抗期の現れだった。母親に反抗してみたい気持ちが、私の中にも人並みに、有った。その気持ちを母本人に直接うちつけられない弱さ、稚さが私を支配していた所為で、それが余計に鬱屈し、どんな悲劇をも嘲笑えるように、私を仕向けた。それから私はすべてを嘲笑おうとした。しかし、哄笑っても哄笑っても、最後の最後で嘲笑えない自分が在ることも確かだった。
何の予兆も無く或る日突然に、その忌まわしさは私に纒わり付き始めた。
例の排泄。
母はそれを知って大変喜んだ。昔ながらの祝いまでした。それは“大人に成った証拠”なのだと彼女は云う。子供を産めるように成って初めて一人前の“をんな”に成るなんて、明治の昔ぢゃあるまいし、ふざけた話だ。
子宮の疼きを感じる。鈍い痛みが気持ち悪くて、寝返りを打つのも億劫になった。これで遂に私も穢れた遺伝子を残す術を身に付けてしまった。これから一生その機器を下腹に抱え込んで、これに生命なんかが宿ってしまわないように気遣わなければならないのだ、とか何とか偉そうに考えていた頃。
まぁ良いか、と総べてに諦めた振りをするようになった頃、私は愛人を幾匹か飼った。人間に成り損ねた屑どもに體を預けて楽しむ危険はなかなかのものだ。万が一そういう事になっても平気だと思っていた。産婦人科が怖くて女を賣っていられるか。そう云い聴かせながら薬を口に放り込むときの感じが好きだった。意気がってみたかった。
「『運が良いとか悪いとか人は時々口にするけど、そういう事って確かに在ると』、」
古耄けた唄を思い出す。まぁ良いかと呟く聲が震えていることに、自身が脅えた。これでもう本当にどうしようもなくなったのだと、多分初めて自覚した瞬間だった。
死んだ塊を、つい先刻までは確かに其処に息づいていた私の子供を、視た。嗚呼、可哀想に。私の躰に宿ってしまったが為に、汚い血液を浴びてしまったが為に、望まれない生命。紛れも無く実の親に殺された子供。一度として抱かれる事なく、太陽の恵みさえ与えられずに。嗚呼。勝手を承知で、それでも吾子が呼吸もせず私を見てもくれないことに哀しみを覚えた。嗚呼、吾子よ。
生命を抱えた妊婦がそれだけで自信を持つ醜さが赦せなくて、自分も同じ種類の生物に成るのが厭で、堕胎はそうなることを避ける手段の一つであるというのに過ぎず、その行為に哀しみなんか感じる筈はなかった。子供なんて、報酬を得る過程で時には負わなければならない可能性の有る障害でしかなかったのに。生命などというものがこれ程の影響を自分に与え得ることは私にとって殆ど恐怖だ。
母は、そんな私の変化には気付かないようだった。
そうだった。あの人にとっての私は生命ではなかった。
朝。忙しく足を蠢かせる蟻のような人込みに紛れている時が最も落ち着く。安心する。自分は今此処に生息していて、肺呼吸しながら歩いて、為すべき何かを持っている、動物で人間で、とにかく一つの生命体であることの自覚をくれる。
本当に生きるのに忙しい人々に混ざっていると、自分もその集団の一員で、同種の生物であるような気になってくる。それが錯覚だということを、私は識っている。或る日或るとき突然に現実を見せ付けられると、途端に事実が眼の前に口を開ける。
例えば病院の二階の窓から往来を見下ろす老人に。何の目的も失い、膨大な時間だけが辺りに澱む。階下ではあれ程速く流れて逝く時間が、彼処では悠遠の刻。嘆くことをも忘れてしまったかのように深く沈んだ、物を映すことを放棄した、あの老人の睛。枯れて乾いた體をやっと支える、窓辺に掛けた細い腕。例えば闇の中に蹲る少年少女の群。例えば破り捨てられた子供の絵。それら、私に哀しみを覚えさせるもの全部が、私の正体を暴いてくれる。
母の希望で、もしくは惰性で、都会の基督教主義の女子校に入った。入学初日から落ち着き払って辺りを見廻す私に、同級のお嬢さんたちは物珍しそうな視線を送って来た。中学までは生意気と評され、“苛め”の対象ですらあったこの眼が、此処では羨望を集めているのだから、全く不思議な話だ。「風葬の教室」でもあるまいに。
はじめは怖々話しかけてきた彼女たちも慣れると矢張り女独特の図々しさで、此方が尋きもしない事を次から次に良く話してくれる。そして例の如く、彼女たちは私が同じ様に自分の考えを話すなんということを拒絶している。此方ももう諦めたが、それでも時々の溜め息は隠せない。一方的な攻撃に堪える為に消費される体力は相当なものだ。
「あら、溜め息をひとつすると倖せがひとつ逃げるのよ、」
心中で絶句しても、賢い私の舌は言葉を勝手に生み出して応える。
「溜め息くらいで逃げるのは倖せでも何でもないんだよ」
私は何時の間にか十七年もの齢を重ねていた。母も近頃は少し窶れ気味で、矢張り今を於いて他にないと、せめて天に許された最小限の美を失う以前に我が手で始末してしまおうと、老いを隠せない母の頬を視て、決めた。
「お母様、何が良くって、」
音盤の連なりを徒らに崩しながら背後に問うた。母の応えは何時でも同じ。
「そうねぇ・・・ボレロが良いわ」
判っていながら、その日は特に尋かずにはいられなかった。私も彼女も同じくらい不憫だと思った瞬間、血液が一気に躰の外へ流れ出したような衝撃を受けた。今更。今更、だ。
ボレロの律動を刻む初めのパアカッションを聴き逃すまいと、二人、自然に耳を緊張させる。不思議と息の合う一瞬。どんなに呪っても、血からは逃れられない。ラヴェルのボレロなんて俗っぽい、などと意気がる気力はもう疾くに失せていた。
木管が細く旋律を謳い出したのを確かめてから、私は音源の側を離れ、母の隣に坐した。一心に音楽に聴き入る振りをしている母の耳に、私は囁いた。
「私には、誰かを愛する資格など有りません」
身を強張らせて、母は怯えながら在らぬ方を凝視めている。
「けれども矢張り、身の程識らずにも、愛してしまった方があるのですよ。お母様は御存知ないでしょうね。貴女は私を本心から愛して下さったのではなかったから。何も識らないのでしょう、私の事なんて。私からあらゆるものを奪っておきながら、平気でいらしたもの。いいえ、それどころか、その事にさえお気付きにはならなかった。何時も与えていると、自慢気に振る舞っておられたわ」
「そんなこと・・・、」
「貴女は、それは倖せでしたでしょう。愛する人を想い、その方の為に私を育て、独り身の慰めに我が子を弄び、今迄それで生きて来られたのですものね。世間なんて簡単なものですわね。ねぇ、お母様」
曲の調子が強くなるにつれて私の語調も熱くなった。不知不識、不本意な涙が快い不協和音を連れて流れる。冷静さだけは失わないように、全神経を集中させた。
「私だって女です。普通なら、仮初の戀愛を楽しんでいる頃ですわ。周囲は日々そういった話で溢れている。私だけが、その輪に入れない。どんなに尋かれても、口が裂けたって云えるものですか。別に一般常識を気にする訳ではありません。私は恥ずかしいより前に哀しいのです。私はただ、人並みに、誰かと愛し合ってみたかっただけなのです。貴女にはそれが理解らない、」
絶叫に合わせるように音量が最大まで上がった。蒼冷めた表情が私の方を視た。眩しそうに、仰ぎ視た。
「理解るわ」
「私は中絶したことが有るのよ、」
「知っていたわ。全部識っていたの」
「ぢゃあ何故、どうして、」
形振りを構う余裕が、消し飛んでいた。
殆ど勢いで、私は持っていた刃物で自分を刺した。幾度も幾度も突き刺した。痛みは感ぜられなかった。急激に膝の力が抜け、額をいいだけ床に打ちつけた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、」
ひたすら繰り返される母の聲が遠くなり近くなり最期まで聴こえていた。
嗚呼、これで良い。これで良かったのだ。
もっと早くこうすれば良かった。こんなに素敵な気持ち。何と甘美な、何と狂おしい。何も無理をしてまで生存ることはなかった。
帰ろう、帰ろう、海へ還ろう。
あらゆる人、あらゆる物、有難う。
さようなら。
嗚呼・・・これで全てが終わる・・・