専攻科のxxxxです。よろしくお願いいたします。  私は「障害のある子どもを育てる過程の障害受容における父親の役割 大江健三郎の作品解題から」という題で論文を書きました。  レジュメにそって発表させていただきます。  〔目次〕はレジュメのとおりです。  〔論の流れ〕についてご説明します。  この題で論文に取り組もうとした動機は、従来、障害児をもつ「親の障害受容」といった場合、その研究対象が母親にほぼ限定されていることが第一に挙げられます。父親を対象としたものもありますが、ごくわずかです。しかし、母親の障害受容について考える際、父親の障害の受容の仕方も大きくかかわってくると考えられます。母親を直接支援するのは夫である父親ですし、ぽれぽれくらぶの質問紙調査では、母親の第一の相談相手は父親であるという結果も出ています。  そこで今回は、父親の障害受容がどのようなものか、また、母親の障害受容のために、父親がどのような役割を担っているのかを探ろうと考えました。  第一章1節で、先行研究についてまとめました。  親の障害受容についての先行研究を、文献研究的によくまとめているのが桑田ほか(2004)です。この論文を手がかりに、自分なりにまとめました。  障害受容の定義は上田敏のものがもっとも端的に「価値の転換」に触れていて、適当だと思います。  障害受容の過程については段階説と慢性的悲嘆説があり、その中間が中田による螺旋型モデルです。  子どもに障害があるとわかり、衝撃を受けたところから、ある段階を経て受容へ至るとする段階説はわかりやすいですが、研究する人によって設定する段階が違ったり、階段を登るようにきれいに受容へいたるものでもありません。また、親は常に悲嘆を抱えつづけるとするのが慢性的悲嘆説ですが、障害児を育てるにあたっては悲嘆ばかりではなく、楽しい面もあるのだと訴える親の手記があります。障害に対する肯定的な気持ちと否定的な気持ちが交互に、螺旋型にあらわれるとする、螺旋型モデルがもっとも多くの例にあてはまり、妥当なものであると考えられます。  従来の研究方法は質問紙法か面接法が多いのですが、これらの方法では、調査者の意図に沿った項目について、一時点の状況しか把握できません。そこで今回は親の手記に注目しました。手記ならば、項目に左右されず、比較的長い期間について把握することができます。その中から注目すべき事柄を抽出しました。  2節では具体的に親の手記からの抽出を行いました。  使用した手記はレジュメにあるとおりです。  『海(かい)くんが笑った』の西原家は、現在まで、ホームページで最新情報を更新しつづけていますし、雑誌『みんなのねがい』でも家族でリレーエッセイを連載しています。長い期間の家族の状況について知ることができます。本を書いているのは母親ですが、母親が障害を受容する直接のきっかけとなった家族新聞をふたたび書くよう促したのは父親でした。重要な局面で父親が、母親や家族をサポートしている姿がよくわかります。海くんが障害をおうことになってしまった事故の調査書を書いて社会へ訴えたのも父親です。  雑誌『みんなのねがい』では1990年11月号から現在まで「この子と歩む」というシリーズが連載されています。これは毎回、中心となる親の手記が3頁と、写真2/3頁、周囲の人の手記1/3頁の、全4頁で構成されています。中心となる手記は、多くは母親が書きますが、父親が書いている場合もあります。本論では父親が中心となる手記を書いているものと、周囲の人として父親が手記を寄せているものの中から取り上げました。母親と父親が同時に同じ誌面に手記を載せているので比較すると、お互いに役割の違い、自分のできることと相手にまかせることを分けていることがわかりました。  『旨味。』という本は母親が中心になって書いていますが、巻頭、一番最初に書いてあるのが「夫の言葉」についてです。夫、父親が母親を支えていると、母親に実感されることが、障害受容につながっているとわかります。同じことが『今どき、しょうがい児の母親物語』でも繰り返し語られています。  これらの手記からわかったことをまとめると、障害受容における父親の役割はレジュメに挙げた3点であると考えました。 @母親の精神的な支え A母親とは違う視点から、母親が意識化・言語化していない事柄に意味づけ・発想の転換を行う B社会へのつながりをつくる  次に2章からは大江健三郎の作品解題を行いました。  大江健三郎には、28歳のときに長男・光(ひかり)が誕生します。光は脳に障害があったので手術をしました。知的障害と軽い視覚障害、運動障害があります。  そのような子どもが生まれてからすぐに、大江の作品は大きく変化しました。子どもと自分の問題について書き始めたのです。  本論では小説を取り上げましたが、これは親の手記と同じように、親の障害受容の問題をここから抽出できると考えたからです。  『ヒロシマ・ノート』についてですが、この作品は光が生まれた直後から書かれたものです。光を手術するかどうかを迷いながら、広島に取材で赴き、複雑な心境で書いています。作中に子どもの話題は出てきませんが、広島で原爆に立ち向かった医師たちに取材する中で、人間の生き方について学んだことが書かれています。そこからレジュメ3頁に挙げたキィワード「蛮勇(気)」「屈伏(の拒否)」「ねばりづよい持続」が得られます。それがもっともよくわかる一文をレジュメに挙げました。  また、NHKのドキュメンタリー番組『響きあう父と子』の中でも、広島でのエピソードが語られています。広島では原爆記念日に死者の霊をとむらう灯篭を流しますが、大江はその灯篭に「光」と書いて流したそうです。この時点では障害のある子どもとともに生きる覚悟ができていなかったと話しています。さらに後日、同じくNHKの番組『大いなる日へ』では立花隆との対談の中で、そのときの灯篭は「健三郎」と書いたものも一緒に流したと語っています。子どもを生かすことができなければ自分も生きていけないだろうと感じていたことがうかがえます。  そのような心境から書かれたのが『空の怪物アグイ−』でした。この作品では、子どもが死んでしまったとしたらどうなるか、ということが書かれています。子どもを失うDという人物は、結局自殺に近いかたちで死んでしまいます。  逆に、障害のある子どもを引き受けようとする親の姿を描いたのは次の『個人的な体験』です。この作品では、生まれた子どもに障害があるとわかった、若い父親が、子どもとともに生きようと決意するまでの、苦しい心のうちを書いたものです。  次の3章では、障害を受容してから起こってくる問題に注目して解題しました。  障害児である我が子とともに生きられるようになり、コミュニケーションもとれるようになったとき、実はその子なしでは自分が生きられないのではないか、という気持ちになってしまいます。子どものことを考えすぎるあまり、子どものいない自分の生活が考えられなくなってしまうのです。このような心境は先に上げた西原海くんの父親も同じようなことを言っています。しかし、それも乗り越えていこうとする姿を書いたのが『父よ、あなたはどこへ行くのか?』でした。  障害の受容という問題を越えて、次には障害を積極的に評価しようという姿勢になっていきます。それが『ピンチランナー調書』です。森(もり)は光と同じように音声言語ではあまりコミュニケーションをしませんが、父親の体に触れることで「ことば」を伝えられます。そして革命を起こそうとしている人たちの前で演説をします。森だからこそ話せる内容なのだ、と作品中で強調されています。  『新しい人よ眼ざめよ』では、家族全体のことが問題とされています。これまでは父と子の問題が中心でしたが、障害のある人の家族全体の受容、受容したと思われたのにそれが危うくなる、その転換期を乗り越えて、また一歩受容を進める在り方が見られます。  第一章で障害受容の研究についてまとめた際、中田の螺旋型モデルが適当ではないか、と申しましたが、大江は上田敏との対談の中で、「仮の受容」という表現を使っています。障害を受容するときに、完全な受容にはならないのだ、ということです。いくつもの「仮の受容」をへて、また一歩次の受容へ向かっていく、という考え方です。  ここでは家族が転換期にさしかかって戸惑っているときに、もう一歩進むきっかけを父親がつくっています。イーヨーというあだ名の、障害のある子どもが、何か混乱をきたしたときに、父親が世の中の「定義」について考え、伝えていた経験が、その混乱を収めたのではないか、と語られています。  最後に取り上げた『静かな生活』は、はじめて女性が語り手になった作品です。大江の娘にあたる人を想定して書かれています。作品内では父親が直接に登場することは少なく、娘の回想の形であらわれて、「実はこういう役割をもっていたのだ」と考える流れになっています。  たとえば「万能の用語」を用いて、母親や娘では兄を説得しにくいことを、父親は簡単にやってのける、というようなことが挙げられます。  このように一作品ずつ確認した上で、全体をとおして読み取れたものを4章でまとめました。  大江作品から読み取れる大きなことは「障害があるということの意義」、「家族全体のこととしての問題」、「父親の役割」でした。父親の役割については、1章で親の手記から読み取れたことと共通していました。  特に「障害があるということの意義」については、大江が講演で語っていることを引用しました。  以上、障害受容における父親の役割について、大江健三郎の作品を手がかりにしながら考えました。  これで発表を終わります。